栗林忠道大将

硫黄島の守備隊総司令官を務めた方です。

「合理主義者で、用意周到な大規模地下陣地を構築し、将兵を爆撃・艦砲射撃に耐えさせ、万歳突撃による玉砕を禁じ、徹底的な持久戦を行って出血を強いる作戦に出た。その結果、物資も豊富で兵力も三倍近いアメリカ軍に対して敵・味方も予想し得ぬ善戦をし、大戦末期としては異例の大打撃を与えた。

栗林自身は、3月26日にアメリカ軍に対して突撃を敢行し戦死を遂げた。突撃前に中将(実際には17日付で大将に昇進していたが)の階級章を外し、一兵士と同じく戦い戦死したため、戦闘終結後のアメリカ軍による調査でも栗林の遺体を発見出来なかった。 この最後の突撃は、所謂万歳突撃の形を取らず、隠密に敵陣に近づき敵側の油断を突いたゲリラ戦に近い戦法を取ったため、予期していなかったアメリカ軍に対して最後の打撃を与えることに成功した。なお、師団長自らが突撃したのは日本軍の戦史として初めてのことである」

「戦後、軍事史研究家やアメリカ軍軍人に対し、「太平洋戦争に於ける日本軍人で優秀な指揮官は誰であるか。」と質問した際、「ジェネラル・クリバヤシ」と栗林の名前を挙げる人物が多いと云われている。わずか22平方kmに過ぎない硫黄島を、指揮下の兵員よりも遥かに上回る三倍の兵力、しかも物量・装備全てに於いて圧倒的に有利であったアメリ海兵隊の攻撃に対し、最後まで兵の士気を低下させずに互角以上に渡り合い、アメリカ側の予想を上回る一ヶ月半も防衛した事、また当時の陸軍では数少ない親米派であり日米開戦に最後まで反対していた事が理由であると思われる。今日に於いても日米両方から名将として高く評価されている。」

こういう方です。こういう優れた方が亡くなってしまい残念です。